16歳、リーマンショック!!
世の中はリーマンショック!私は高校生であったので、あまり関心がなかった。自分が就職するまでにはどうにかしてほしいなと思っていたぐらいである。
17歳、大学入試
工学部か経済学部で迷う。大阪に経済と工学が融合したような学科があっため、そこを目指し勉強を開始。
2学期の途中、いきなり担任に推薦で近くの工学部のある大学を進められた。3日間悩んだ末に志望校を工学部のある大学へ変更。 何より物を作るのが好きであったことが大きいかもしれない。
経済への興味は趣味にすることにした。
18歳、大学入学
見事志望校へ合格。試験の中に面接があったのが功を奏したのだろう。
軟式テニス部へ入るが何か違うと感じ半年で退部。すぐに軟式テニスサークルをつくり、活動開始。授業は工学部のものでだけでなく、たまに経済学を受けたりした。
19歳、大学生活
バイトかパチスロの日々。
バイトで仕事のできる店長と一緒になった。鬼のように厳しい店長であったが、このときにがっちり仕事観を学んだ気がする。
一方、そんな一生懸命働いたお金はパチスロへ。やっていた人なら分かると思うが、パチ屋を徘徊し 天井やゾーンなど有効な台を拾っては期待値を回収していた。イベント日には朝から並んで設定狙い。 今思えばアホだが、楽しい日々であった。
22歳、研究室
電子回路系の研究室に配属。この時の研究室の教授が学部一厳しいと言われる教授である。どうせ研究をやるならばと一番ためになりそうな研究室を選択した。もしかすると、今の社会人生活よりも研究室生活のが辛かったかもしれない…。
毎日9~18時を定時としている研究室が嫌になり、パチ屋に直行。パチ屋行きがばれて毎日日報をかかされることに…。
就活の際に教授に第一希望の会社を相談すると、「君には無理だ。なぜなら、君よりもっと優秀な先輩がこの会社に入っているからだ。」と言われ、言い方があるだろうと怒り狂った記憶がある。この時からだろうか、真面目に勉強と研究に取り組み始めたのは。
23歳、入社
晴れて第一希望の会社に入社。今思えば、教授の言葉があったからこそ頑張れた気がする。
バイトで稼いだお金というとは、大学卒業と同時に全てパチスロ、旅行や遊びで全てなくなった。社会人になってからの生活費が足りず、親にお金を借りたような記憶がある。貯金や投資は大切だなーと心の底から思ったのは、この時が初めてだったと思う。
同期に経済学部出身の同期がいたので、やり方を聞いて割安株を中心に株取引を開始。
24歳、裁量労働制
裁量労働制がスタート。そう、これは定額働かせ放題である。働いても働いても月額20時間分の手当てしか出ないという謎の制度である。
このとき、他の部署の同期は、残業制度であったため所得格差が広がった。ちなみにその同期は法律ぎりぎりの労働時間を毎月こなしていた。
しかし、同期より時間あることを有効的に活用すべく、IPO(新規公開株)を開始。これが性格に合い、今後利益をコツコツあげることになる。証券会社は、SBI証券。
\総合力と口座数1位の証券会社!/
25歳、一冊の本と出合う
仕事は好きであったが裁量労働制度に絶望していたころ、一冊の本に出合う。
『金持ち父さん貧乏父さん』
書いてあることはすこぶる単純で、『君のポケットにお金を入れてくれるが資産、君のポケットからお金をとっていくのが負債』というものだ。
この時から、資産を増やすべくIPOで稼いだ金を中心に配当株へシフトする。
26歳、米国株を購入し始める、エクストレイルを購入
日本株だけではなく、米国株も購入。セミリアタイアを目指すべく、不労収入を少しずつ増やす…
結婚を諦めて、クリスマスプレゼントとしてエクストレイルを自分で購入する。
27歳、キャンプへとのめり込む
NTTドコモのTOBにより得た資金で本格的に米国株を購入し始める。
エクストレイルを買ったこともあり、キャンプへとのめり込む。幸運にも現在の嫁と出会う。エクストレイルとは・・・
28歳、現在
嫁と結婚をする。コロナで大変だったが、結婚式をすることができた。
20代で資産1000万円を目指すため、2021年から5万円/月を投資に回し始める。
続く・・・